あしあと。

九州→関東在住。ライブラリアン。あるいてきたことを、ちょこちょこと。ふりかえったとき、自分なりの道になっていますように。

2019.3.11

2019.3.11.

2010年代は最後になってしまう。ので、

書き留めておこうと思う。

ピリオドをうつでもなく、これからも続く通過点として。

 

九州にいた私は、直接その時間になにも感じなかった。

あとから特別になってしまった日を忘れないでいようと、

その日に何をしていたっけ、と反芻して刻み込んで、

それで覚えているだけだ。

確か晴れていた。いつもどおりに出勤して、

お昼ご飯もそのときまだ放映していた笑っていいともを見ながら食べて、

休憩を終わった午後に仕事を再開し、14時からバックヤードに下がって

パソコンを開いて作業をしていた。

たぶんレファレンスの検索か所蔵検索でインターネットも使用していた。

 

ふと気づいたのはおそらく15時前後だったと思う。

作業の合間に検索エンジンを開いたときに

画面に表示されるニュースに気が付いた。

その範囲の広さ、そして規模の大きさに

実際には揺れがほとんど感じられなかった地域にいた私は

それが実感としては受けとめていなかった、と思う。

 

それからおぼえていること。

そのころは県外にほぼ知り合いはいなかった。

それでも、未曽有の事態に対して、

自分なりになにかできないだろうか、自分の立場としてなにかできないだろうか

ということは探りつづけた。

避難してくるであろう人や、在住の出身者など、

目の前にいる人に対して。

とにかく情報を届けたかった。自分の役割で役に立ちたいと思った。

 

初めて当事者のかたにお話をきかせていただいたのは、

2011年秋のことだった。

はるばる、東北から九州にお話をしに来てくださった。

また重ねて、12月にも仙台からはるばる来てくださったかたに

お話を伺うことができた。

 

その2回のお話が、今も自分を繋いでいるように思う。

またその時に同じく知り合ったかたたちとの縁で、

翌年の2012年からインターネットを通じて

支援活動に参加することができた。

それでまた人との繋がりができ、実際にお会いする機会もできたりした。

 

8年。変わったこともあれば変わらないこともある。

毎年思い返すのは自分がどう受け止めたかということ、

そしてその時の自分に今の自分は向き合えるかということ。

お話をしてくださったかた、繋いでくれたかた、

繋がってくださったかたへの感謝。

あの日に被害に遭ってしまったかたたちへの祈り。

 

忘れないということ。

 

https://savemlak.jp/savemlak/images/c/c9/saveMLAK_Newsletter_20190711.pdf