あしあと。

九州→関東在住。ライブラリアン。あるいてきたことを、ちょこちょこと。ふりかえったとき、自分なりの道になっていますように。

NYPL感想(内容・雑感を含みます)

映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』公式サイト

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まだ暑さが残るころにみてきた、のですが公開時期が全国でまちまちということもあり、あとしばらく書いてほっておいたというのもあり。。。

ほぼ自分の覚え書きですが、残します。

観て、じゃあ日本の図書館はというふうには自分はとらえられなかった。まず前提とする土台がいろいろ違うなあと思ったので。覚え書きの後半でそれでももしあてはめるなら、という仮定は少し書きました。


○出だしが図書館ロビーでの公開講座(というのかな、進行役と登壇者がいて、聴衆が自由な場所で聴いている)で始まり、それからもところどころに講演やスピーチ、会議でのセッションやミニ講義など発言者とそれを聴くという場面が多かったのだけれど、発言者のスピーチやトークの伝える力とそれを聴く人々の傾聴する姿勢が印象に残った。

○また、服装や年齢や人種がさまざまなためか、何をしてもそれを嘲笑や茶化すような態度はとらない。そのため人々がそれぞれの主張をのびのびと、あるいは力強くしているように思えた。


このふたつはアメリカ、ニューヨークだなあと。個が確立してるからこその尊重と責任、そして主張をしないと生き抜けないというリアル。


○NYPLに出てくる人々は、就職支援や未成年者への支援の場面もあったりはしたけれど、基本的にはお金がある、生活基盤がしっかりしてその上で知が成り立っているようなひとたちなのかなあと。知を守るということに重きを置けること。


○そのような背景だからこそ、上2つのような態度がとれるのかもしれない。あくまでNYPLを一視点で切り取った見方であり、またこれが全てのNYPLでもないだろうし、ましてやアメリカの図書館でもない。(「どうか、お静かに」というアメリカのある公共図書館をレポートした本がある。フードチケットを配る図書館など、が出てきた)


○半官半民、のバランスをとりつつ、コーディネイトしつつ、図書館の意義や未来をぶっこむ図書館員たち。日本だと地域に根ざしたNPO主管の指定管理図書館かな、、、と思ってしまった。直営でもできなくはないけれど、行政の意向を組みつつ、図書館友の会や協議会がうまく運営されていて、司書に予算繰りとその調整、実行力が図書館司書の専門知識を伴って行えること、だろうか。できている図書館もいくつか浮かばなくもないけれど、日本全体でそれができているかといったら疑問のように思える。


○映画自体は長い。自分は業務従事者だからいろいろ分析しながら見れたけれど、一般のかたはどうとらえたのだろう、退屈でなかっただろうか。


○バックヤードの作業がでてきたのは嬉しかった。きちんと屋台骨までみせてるというか。


○実はこの映画を肴に人前で話すプランを仮でいただいていた(仮のままとなった)のだけれど、もし話すとしたらどう話すかね、とプランを立てたかたと視聴後話した。違う次元の話でなく自らに引き寄せて考えてもらうとしたら、地域の図書館に対しての意見は要望というかたちだけでなく応援や活用をしてほしい、提供されるものと捉えず自らもまた図書館を作り上げるという意識をしてほしい、ということだろうか。(これは従事する図書館員自身にもいえることだな、与えられた仕事をこなすだけでなく、どう作り上げるかという意識をもてるかということ。)


アメリカはhopeとdreamとromanticの国だなあ、と。そういう概念がある国。それを語ることを厭わないし、聴くことに気恥ずかしさがない。良くも悪くも日本と違う。libraryの概念も(それ以前も書籍館や文庫などはあったとはいえ)アメリカから。日本のlibrary=図書館はどのような概念で存在しているのか、日本社会においてどのようにあるべきなのか。それを今一度見つめ直してもよいのではないか、と思った。


デジタルデバイドについて。実はこの映画を福岡でみた上映会自体が1日きりの開催で、自分はネットで告知を見かけたのだけど会場は年配の方も多かったのでどのように情報を得てここへ来たのだろう、と思った(おそらく新聞告知や元々興味があって情報を追ってたかた、あるいは当然のようにネットを使いこなしているかただろうか?)NYPLの映画中で出てきたデジタルデバイド(電子情報格差)については現代ならではのサービスである(普及するまでのサービスであろう、と思う、古い時代の固定電話のように)というのと、場面場面で出てくる日常がすでに電子機器ツールは欠かせないものとなっているのだなと(日本の図書館で言われるような操作音などのエリア分けはしていないのだろうか?)、公園で寝転がっていてもスマホは当たり前のように使うし(これは日本も一緒)、だからこそそのようなツールを持たざる人の格差が半端なく、図書館が支援する意味があるのだなと。

"情報と教育を支えることが社会を支える"というような言葉が前半の早いところで出てきたのだけれど、そういう意識がありそこにお金をかけられるという価値観が素晴らしいなと思った。